2013年1月7日月曜日

随句の基調(第2回)

         ・・・北田傀子

 随句とは

 一般に「自由律俳句」と呼ばれるものを、私は「随句」と言う。自由律俳句では自由律俳句は定型の中の異端的存在としていつまでも逃れることができないのと、「俳句」という呼ばれ方を嫌うからである。当面、異論があっても付き合っていただきたい。「随句とは」とは「自由律俳句とは」ということである。
 随句は、明治44年の『層雲』『海紅』の発刊を源流としてスタートした。しかし当初は自由律俳句というものではなく、定型の形式を引きずった新派とでもいったものであった。これが575の数韻を脱却するに至ったのは大正初年になってからであった。それもかなり固形化したものだったが、ようやく自在に見えるに至ったのは尾崎放哉が出てからだったと思う。「作るのでなく、受ける」といった姿勢からであった。この流れを種田山頭火が引き継いだ。「作るより、拾う」といった取り組みであった。「拾う」ために彼は全国を歩いてまわったのである。
 随句は自身を「随」に置いて、自己の感性が感得したものを記録することから始まる。分かりやすくするために私は「感性のひらめき」という。
 随句が現存する文芸の中で最短のものであることは、およそ異論がないであろう。この最短のよって立つベースが「ひらめき」なのである。「ひらめき」は叙述によって理解を得られるものではない。韻によってのみそれが成されるものである。最短のものとは「最短の韻文」ということである。
 しかし、最短ということはいわゆる一句の長さが最短であるということではない。私はこれに一句を構成する節の最短、つまり最少数を取る。最少数は「3」である。「2」では不備、「4」以上では剰余となる。韻が完璧に構築されるためには「3」でなければならないとするのである。このことは理論上だけのものではない。今までの随句で名句とされている作品が呈示するところである。
 「ひらめきは、叙述によって理解を得られるものではない」と述べた。だから「最短の韻文」だと言った。これは随句が文章の端くれのようなものであってはならない、ということである。現在の非定型各派の作品を見ると、この点が一様に没却されている。このように一様なものが「自由律俳句」なら、この一事からも私は「自由律俳句」を止めて「随句」で行きたい。

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