2013年1月3日木曜日

その先へ(創刊号の「草言」を読んで)

         ・・・馬場古戸暢

 私が草原へ入会したのは、平成17年の2月のことであった。草原は平成15年1月に始動していたので、二年遅れで参加したこととなる。
 恥ずかしい話だが、草原へ入会してしばらく、「随句の基調」のことを知らないままでいた。すなわち、誤解を恐れずに言えば、私は「随句の基調」そのものに賛同して草原へ入会したというわけではないのである。
 ではなぜ草原を選んだのかと言えば、インターネット上に公開されていた、草原会員の句に惹かれたためであった。頭を使わずとも心にすとんと落ちてくる草原の句は、私の心に直接響いてきたのだ。
 こうした草原の句風は、どこまでも山頭火的であり、放哉的であると思う。レトリックに富んだ句や観念的な句が多い昨今においては、草原句はいささか古めかしく、また物足りなく思われているかもわからない。しかし当然のことながら、表現の新古は、句の評価へ何の影響も及ばさない。むしろ、できる限り多くの人びとがすんなりと共感できる句であることこそが、大切だと思う。
 遠い未来を見据えよう。もはや詠み人知らずとなっているだろう様々な句の中に、草原の風が吹いていることを信じて、日々を詠って行こう。

1 件のコメント:

  1. 実際には、随句の基調から育った作家の作品が、全く評価されないかということはなく、実際に共感を得ているという結果は、人の心が時代を超えて、共通の人としての感性を共有していることではないか、新しい表現だけで、一時の流行は作れても、時代の腐食から免れないのではないかと私は思っています。
    人が人だる以上、感動する要素や感動する内容に変わりがなく、それを誰にでも響く素直な表現で詠んだ作品は、心で受け止められ易く心に刻まれると私は信じています。

    人の素直な心はさかしらの巧みに関心はしても心に響かず感心はしないと思うのです。
    それを解ることが、詩や句をなす根本的原点と思います。

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